實成寺の歴史

様々な人が行き交った鎌倉街道沿いに建ち、時の要人が寵愛した實成寺

實成寺は、鎌倉街道沿い愛知県あま市萱津(かやづ)に位置します。元応元年(1319)、日蓮聖人の弟子、中老日妙(にちみょう)上人が改宗し、寺号を實成寺から妙勝寺に改めました。その後、明応3年(1494)、織田信長の曾祖父とも称される織田敏定公が寺領を寄進し、本堂を今に伝わる形に大改修し、寺号を實成寺に戻したと伝わっています。また、重厚な山門は福島正則が寄進したと伝えられ、本堂と共に国指定の文化財に登録されています。名古屋駅から車で10分と利便性がありながらも、静かで落ち着く雰囲気のお寺です。

實成寺の取り組み

地域に開かれ、人と人が繋がる實成寺に

かつて、鎌倉街道沿いの宿場町として様々な人々が行き交い、栄えた萱津。そんな街にある實成寺は老若男女問わず地域の人々に開かれ、「玄米みんなの食堂」を定期的に開くなど地域に根差した活動を欠かしません。現住職の渡邊英晃さんは第49世住職。米国ハワイ州のオアフ島やマウイ島での国際布教の経験をはじめとした多様な経験から、お寺の役割を様々な視点から見つめています。前述の地域への活動をはじめ、お寺で葬儀をあげる取り組みなど、寺がどのように現代社会の中で存在していくべきかを日々考え取り組んでいます。

住職の想い

住職の渡邊英晃さんにお話をお聞きしました。

住職インタビュー:渡邊英晃住職

様々な人々が行き交い、文化が発展した鎌倉街道沿いにある實成寺

──實成寺の歴史を教えてください。

實成寺は鎌倉街道沿い、愛知県あま市萱津(かやづ)にあります。古くから萱津は宿場町として栄えていたことが知られています。京から美濃を経て鎌倉に赴く交通の要であった鎌倉街道に面していることにより、様々な人々が行き交っていました。そんな中で、日蓮聖人が比叡山や京都や南都(奈良)での遊学を終え故郷に戻られる際、山門前をお通りになり、当時の住職の善妙(ぜんみょう)と法論となり論破されます。善妙は日蓮聖人に深く帰依し弟子日妙(にちみょう)となりました。その後、日妙上人が80才の元応元年(1319)、改宗を行い中萱津妙勝寺とし、先に改宗を終えていた上萱津の妙勝寺と共に住職を兼務することになります。当時は天台真言のお寺で「大御堂」と尊称を受けるほどの格式ある寺院でした。その後、日妙上人が改宗を行い、今の實成寺を創建したとのことです。日妙上人は近隣の妙勝寺と兼務で住職を勤め、100歳の時に隠居しました。その際に實成寺を隠居寺とし、106歳で實成寺でその生涯を閉じております。また、織田信長の曽祖父とされる織田敏定公から外護を受け、敏定公が本堂を改修したことが知られています。実は、織田敏定公画像は實成寺から発見され、現在は名古屋市博物館に寄託しています。

住職インタビュー:織田敏定公が改修したと伝わる實成寺の本堂。

織田敏定公が改修したと伝わる實成寺の本堂。

──お寺がある萱津は、かつて宿場町だったとのこと。どのような街だったのでしょうか。

実は、實成寺の前の通り300メートルほどは鎌倉街道の中でも唯一、昔の雰囲気を残していると言われています。当時は人の往来も多く、比叡山に遊学(留学)に向かわれるお坊さんが實成寺に立ち寄り、京と鎌倉を行き来する多くの人が宿泊し、多くの人が行き交う場所でした。他の街道においても同じことが言えるのですが、川の渡しや峠の前後に重要な宿場が発展しており、庄内川に面し、渡しに近くに立地していた萱津が街道の中心となり、宿場町として発展したと考えられています。また、近隣の下萱津には県の指定天然記念物に指定されている樹齢約350年の藤の花があり、平成の初め頃までは春の風物詩として、大勢の見物客が訪れていました。現在は非公開なのですが、毎年4月に限定で公開されています(詳しくは、あま市美和町歴史民俗資料館までお問い合わせください)。今の萱津は名古屋駅から程近いにもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気です。

住職インタビュー:鎌倉街道に面した山門。福島正則が寄進したと伝えられている。

鎌倉街道に面した山門。福島正則が寄進したと伝えられている。

人とモノ、人と人を繋ぐお寺であるために

──現在のお寺の取り組みについて教えてください。

私にはお寺が人とモノ、人と人を繋ぐプラットフォームであってほしいという想いがあります。現在、福祉サービスや子ども食堂を運営している団体さんと協力して「玄米みんなの食堂」を定期的に行っています。そこには、主に地域の子どもたちと高齢者の方々に来ていただいております。活動を始めたきっかけは、地域の子どもがお寺の中にもっと気軽に入ってきてほしいという想いから門の位置を移動し、遊び場をつくったことです。その中で、お休みの日に欠食している子どもがいることに気づきました。1日1食か2食しか食べていない子が想像以上に多かったのです。そこで、栄養価が豊富な玄米を提供する食堂が作れないかと思い始めました。なかなか玄米は子供にとっては食べにくい食材なので、カレーやシチューにして食べやすく美味しく提供してもらっています。また、世代を越えた交流が高齢者の方々にとっても、生きがいになっているという声をいただいております。地域の方々が集う場所として機能しているところです。

実は、こういった取り組みは10年ほど前に始めたものでしたが、その時はやり方がうまくいきませんでした。そこで、試行錯誤し、ボランティアのみなさんや食材等のご提供をいただける地元企業さんと協力して運営する現在の形ができた経緯があります。これからも、實成寺が人とモノ、人と人が繋がるプラットフォームであり続けるためには何が必要かを考え、行動していきたいです。

住職インタビュー:「玄米みんなの食堂」の様子。さまざまな年代の地域の方々が集まる。

「玄米みんなの食堂」の様子。さまざまな年代の地域の方々が集まる。

人の生死に向き合ってきた経験を、役に立てていきたい

──樹木葬を考えている方へのメッセージをお願いします。

私にはハワイのオアフ島やマウイ島で国際布教師として現地の寺でお勤めをしてきた経験があります。日本に比べてお寺が身近な存在なこともあり、様々な方々の困りごとに向き合ってきました。例えば、病院に呼ばれ、人の生死に立ち会うこともたくさんありました。そういった経験の中で改めて感じたのは、人が生きるということは、いつか死もやってくるということです。そんな場に立ち会い、向き合い、お話を聞くことが私の勤めだと思っております。また、樹木葬という観点でお話をすると、鎌倉、室町期には、現在の様な墓石ではなく、地面を掘ってお骨を埋め、ただその上に目印の石を置いただけのお墓が今も實成寺の裏山に顕在しています。樹木葬は特別なことではなく、昔から行われていた慣習なのです。何か迷っていることや困っていることがあれば、お気軽に話しにきてくださればと思います。

住職インタビュー:渡邊住職インタビュー風景

渡邊住職、お話ありがとうございました。

<参考文献>大塚耕平,尾張名古屋歴史街道を行く:社寺城郭・幕末史, 2023/石田泰弘,街道今昔佐屋路をゆく, 2019

交通案内

實成寺 樹木葬かやづ庭苑®

〒490-1113 愛知県あま市中萱津南宿254

電車+タクシーでお越しの方
  • 「名古屋駅」太閤通口から車で15分
  • 「枇杷島駅」から車で8分
  • 「須ケ口駅」から車で6分
お車でお越しの方
  • 駐車場完備
  • 【カーナビご利用の方】「実成寺」または電話番号「052-441-9119」で検索してください。

實成寺の樹木葬

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