海宝寺の歴史
時の要人や文化人に愛された寺、海宝寺
海宝寺は享保年間(1716~1736年)、黄檗山萬福寺十代・杲堂元昶(こうどうげんちょう)禅師によって創建され、慶長十四年(1609年)、萬福寺十三代・竺庵浄印(じくあんじょういん)禅師が隠居先とした寺です。境内は仙台藩主伊達政宗の屋敷跡とされ、伊達政宗手植え樹齢400年の木斛(もっこく)や豊臣秀吉遺愛の手水鉢などが伝わっています。また、海宝寺にて江戸時代中期に京都で活躍した絵師・伊藤若沖(1716~1800年)により、寛政二年(1790年)に約10メートルに及ぶ障壁画「群鶏図」が描かれました。若冲はこの絵を描いた後、筆を執らなかったことから、障壁画の部屋は「若沖筆投げの間」と呼ばれています。
海宝寺の取り組み
歴史を大切にしながら、
新たな文化をつくる活動に取り組む
京都の中でも大名屋敷跡地一帯の伏見桃山地区にある海宝寺。京都伏見の呉服商・大文字屋(現・百貨店大丸の前身)の創始者・下村彦右衛門正啓(しもむらひこえもんしょうけい)は竺感禅師に帰し、自ら浄財を投じて援助を続けてきました。また、黄檗宗萬福寺開祖である普茶料理を一般の方向けに初めて提供した寺として知られ、現在でも寺にて味わうことができます(要予約制)。また、アートイベントを行うなど、歴史を大切にしながらも新たな文化をつくる活動を積極的に行なっています。
住職の想い
荒木聡聖住職に話をお聞きしました。
歴史、文化と密接に
関わりつづけてきた土地、伏見桃山地区
──海宝寺がある伏見桃山地区は大名屋敷跡地ということで、いわゆる山の手の地域とお聞きしました。
そうですね。この辺りは、利便性がありながらも落ち着いた雰囲気の地域です。海宝寺の一帯は伊達政宗公の大名屋敷跡地とされ、住所にも大名の名前がついています。海宝寺の住所は伏見区桃山町「正宗」です。隣接する地域にも同じように、当時屋敷があった「毛利」「島津」「福島」など様々な大名の名が住所に残っています。江戸幕府ができる前には、今で言う首都のような地域だったのだと思います。また、歴史を辿ると、様々な文化人との繋がりがありました。江戸中期に活躍した絵師・伊藤若冲は海宝寺で晩年、障壁画「群鶏図」を描いています。若冲は黄檗宗と繋がりが深かったとようです。同じく黄檗宗である近隣の石峰寺には若冲の墓があり、若冲が下絵を描き、石工に彫らせた五百羅漢像も有名です。
境内には伊達政宗公が手植えされた樹齢400年の木斛がある。写真内の木斛は原木からクローン技術で新たに育てられてもの。歴史ある名木を守る活動も行なっている。
木魚の原型とされる開梆(かいぱん)。昭和の時代には東山魁夷が海宝寺を訪れ、開梆をモデルとし、版画作品を残した。
思いやりの心から生まれた普茶料理を、
文化として継承してきた海宝寺
──黄檗宗が開祖である普茶(ふちゃ)料理を、荒木住職自ら振る舞うとお聞きしました。どのような料理なのでしょうか。
普茶料理とは、黄檗宗の開祖である隠元(いんげん)禅師が中国から伝えた精進料理で、普茶とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味から生まれた言葉です。禅宗では法事などの会はお茶に始まり、お茶で終わるという「謝茶(じゃちゃ)」という文化があります。お茶を出して貰った側はそれに対する感謝、出した側はお茶が粗茶であることをお詫びする謙遜の気持ちの両方の意味で解釈されています。根本にあるのは、お互いを思いやる心です。そんな思いやりの気持ちの延長線として法要などが終わった後、お茶だけでは寂しいからと、仏様にお供えした野菜などを調理して振る舞われたのが普茶料理の始まりと言われております。その文化を今まで受け継いできたわけですが、実は、一般のお客様に普茶料理を振る舞うことを始めたのが海宝寺です。3代前の荒木幸山が始め、現在は私がお客様に提供させて頂いております。何十年前に食べた方が、もう一度食べたいと来てくださることもありますね。他にも隠元禅師は日本に様々な文化を伝えたとされています。例えば、たけのこやインゲンを食べる文化、ちゃぶ台で食事をとる文化、はたまたフォントの明朝体まで…。現代の私たちにとって当たり前とされる文化を隠元禅師は日本に伝えてきたのです。
黄檗宗総本山から認定された普茶開祖道場の証。
柔軟な考えで、新たな取り組みに挑戦。
いつの時代も必要とされるお寺に
──現在、荒木住職はどのような想いでお寺への取り組みを行っておりますか。
正直、私は仏教について、勉強熱心な方ではなかったと思いますが、現在は自分なりの解釈や今の時代に合ったお寺のあり方について考えを巡らせています。仏教の発祥の地インドには2回ほど行き、仏教聖地と呼ばれる場所を回りました。釈迦のゆかりの地を実際に見てみると、感じるものが多くあり、仏教ついてもっと深く知りたいと思うきっかけとなりました。海宝寺には素晴らしい歴史や文化の背景があるのですが、そこに頼り切りになるのではなく、新たなことに取り組む柔軟性も大切にしたいと私は考えています。その一環として、アートイベントを行う取り組みをしております。沖縄からストリートアーティストを呼び、襖と屏風にライブペイントをしたり、ステージを用意し、漫才や音楽ライブをしたりする予定です。もっと気軽にお寺に人が集まってほしいという考えからですが、こういった取り組みは、新たな文化をつくる活動を継続して行っていきたいと考えています。
──樹木葬を考えている方にとって、海宝寺の魅力はどんな点でしょうか。
お話してきたように海宝寺は、歴史や文化とは切り離せないお寺です。また、京都伏見桃山という地域は利便性がよく、落ち着いた雰囲気ですので、ゆっくりとお参りに来ていただけるのではないかと思います。私は日々、みなさまが肩肘を張らずに気軽に来ることができるお寺であるために何が必要かを考え、取り組みを行っております。仏教者は本来、「やりたい」という気持ちが原始となって、自分なりに考えて行動してきた人たちです。ですので、対峙する際に必要以上に構える必要はなく、困ったことがあれば、フラットに気楽にお話いただけばと思います。
荒木住職、お話ありがとうございました。
交通案内
海宝寺 樹木葬伏見桃山の森
〒612-0856 京都府京都市伏見区桃山町正宗20
- 電車でお越しの方
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- 「最上町」バス停下車して徒歩4分
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- 駐車場完備
- 第二京阪道路-城南宮南ICから車で6分
- 【カーナビご利用の方】「海宝寺」または電話番号「075-611-1672」で検索してください。