本昌寺の歴史

大阪・岸和田の街で古くから愛されてきた、本昌寺

本昌寺は、江戸時代の創成期に堯蔵院日受(ぎょうぞういんにちじゅ)上人が開いた日蓮宗のお寺です。明治期には、向かいにあった妙法寺と合併。平成を迎えてからは、阪神淡路大震災を経験します。築200年の本堂が傾き、平成14年(2002年)建て替え工事を行いました。現住職の久保 泰丈(たいじょう)さんは、昨年、副住職から住職に就任。歴史深い大阪・岸和田の街で古くから地域の方々に支えられてきたお寺です。

本昌寺の取り組み

「お寺の関係人口を一人でも多く増やしたい」という思いから、様々な取り組みを

「岸和田だんじり祭り」で有名な大阪・岸和田市。祭りを軸に地域の人たちの結びつきが強い地域です。現在、久保住職を中心に、お寺と人々のご縁を創出するため、様々な活動を行っています。寺子屋、ヨガ教室、マルシェ、終活の取り組みなどに加え、お経の言葉を伝えるために企画された御朱印「伝える御首題(ごしゅだい)※」は、SNSを通じて広く認知され、多くの方々と繋がりを結び始めています。また、樹木葬の造成に伴い株分けした、かつて植えられていた大きな蘇轍(ソテツ)から命名をした「蘇轍の会」をつくりました。従来の檀家制度とは異なるお寺コミュニティの枠組みとして運営を始めています。「何かあった時に頼れるお寺、かかりつけの病院ならぬ、『かかりつけの寺院』となれるよう励んでいく」と語る住職。日夜、本昌寺の未来を作っていくため様々な取り組みを行なっています。

※日蓮系宗独自の御朱印のこと。

住職の想い

住職の久保 泰丈(たいじょう)さんにお話をお聞きしました。

本昌寺住職インタビュー:久保泰丈住職

古くから地域に愛され、天災をも乗り越えてきた歴史

──本昌寺の歴史について教えてください。

本昌寺は、江戸時代のはじまり頃、堯蔵院日受上人によって開基された日蓮宗のお寺です。二代目の住職である日遠(にちおん)上人は、日蓮宗を代表する高僧であり、総本山である身延山久遠寺の法主猊下も務められました。平成の時代においては、先代である父が住職の時に、阪神淡路大震災を経験。私は当時、中学生でしたので、当時のことはよく覚えています。築200年近い本堂が半壊し、「これは何とかしないといけない」と、寺檀一体となって、本堂・客殿・庫裡・山門の全面的な建て替え工事を計画しました。伽藍が一新されたのは平成14年、ちょうど私が大学を卒業し、お寺に帰ってきたタイミングでした。父の代で檀信徒の皆さまにお力を頂き、ハード面を立派にしていただきましたので、次の世代の私はお寺の中身、ソフト面に力を入れ、この立派な伽藍が、砂上の楼閣とならぬよう、勤めて参りたいと思っています。

本昌寺住職インタビュー2

地域と住民の結びつきが強い、大阪・岸和田の街

──地域について教えてください。

大阪・岸和田市は「岸和田だんじり祭り」を軸に地域の人たちとの結びつきが強い地域です。私もこの土地で生まれ育った岸和田っ子でして、今年、20年ぶりに担ぎ手として祭りに参加します。近隣には古い歴史をもつ岸和田城があり、国指定名勝 岸和田城庭園(八陣の庭)をはじめ、歴史的に価値をもつ資料や逸話の展示を行なっています。実は、岸和田市に関する、面白いデータがあります。全国の子どもを対象にしたアンケートで、「地域の行事に参加しているか?」という問いに対する答えです。「はい」の割合に関して全国平均が20%代に対して、岸和田市は60%代を叩き出しているのです。子供の頃から大人になってからもずっと、当たり前に参加することのできる大きな祭りが存在し続けている街は、めずらしいのかもしれません。

本昌寺住職インタビュー3

柔軟な姿勢を持って、お寺の関係人口を増やす活動を

──現在のお寺の取り組みについて教えてください。

お寺は、お葬式やお墓などの供養がきっかけで様々な方とご縁を頂くことが一般的です。これはとても大事な仏縁であり、今以上に真摯に向き合っていく姿勢は大切にしていきたいです。一方で近年、高齢化、人口減少が進む中で、新たなきっかけを持って、本昌寺に関係する人の数を一人でも増やしていければとも思っております。そのような考えの元、ご縁の中で、こども寺子屋やコンサート、マルシェを開催したり、講師を招いてヨガ教室をしたり、私が終活講座を開いたりと、様々な活動を行なっています。中でも、お経の言葉を少しでも伝えたいという思いで私が立案した「伝える御首題」は、SNSを通じて認知が広がり、寺社仏閣を巡る多くの方々とのご縁を、新たに創出する事ができました。とはいえ、これからの人口減少時代、お寺が淘汰されていくことも自然の摂理であり、それが悪い事だとは思っていません。淘汰により新たな未来が創造されていくことも必要です。ですが、「まだまだその前にできることがあるんじゃないのか?」、「仏教やお寺のポテンシャルは間違いなく高いはず。僧侶である自分自身が力不足なだけじゃないのか?」という自分自身への問いかけが私の原動力であり、試行錯誤をする日々を過ごしています。一方で、「やらないこと」を決めることも大切に感じております。お寺は檀家さんや地域の方に支えられて存在してきました。無責任に新しいことを数多くやるのではなく、「本当に本昌寺がやる必要があるかどうか」の判断をしていくことも重要だと感じています。

本昌寺住職インタビュー4

前述しましたが、本昌寺の2代目の住職は日遠上人という日蓮宗を代表する高僧でした。この方は、厳格に日蓮聖人の教えを守り、伝えていたと言われています。とても印象的なエピソードがあります。徳川家康公が晩年、側室に迎えたのが養珠院(ようじゅいん)お万の方でして、日遠上人を自身の信仰の指導者としていました。このお二人にまつわる話です。日蓮宗の総本山である身延山には、日蓮聖人のお墓があります。その山に連なり、七面山という修験道の山がありました。修験道は文字通り、修験の道を意味し、断食、瞑想、滝の下での祈りなどの禁欲的な修行を指します。それゆえ女人禁制の山となっておりました。その七面山に、お万の方が「どうしても登りたい」と日遠上人に直談判に行くのです。そこでお万の方は以下のように訴えます。「法華経には『女性であろうがこどもであろうが動物であろうが、差別なく、みんな仏になれる』と、徹底的な平等思想が説かれています。そんな法華経の教えを生涯かけて弘められた日蓮聖人、その日蓮聖人が眠る身延のお山に連なる七面山が、女人禁制などとして、女性を差別するようなことがあっても良いのでしょうか?」と。当時は、女人禁制を解くことで、どんな天罰・仏罰が降るのかと大騒ぎになる時代です。ですが、日遠上人はお万の方が七面山に登ることを許可し、混乱をきたす身延の僧たちを黙らせます。ここで、私が感じたのは、固定観念に囚われずに物事を見ることの出来るお二方の懐の深さです。私も、日遠上人やお万様のように、大切なことは曲げない強さを持ちながらも、その場に応じて柔軟な対応ができる懐の深い住職でありたいと思っています。

本昌寺住職インタビュー5

不便や不安を解消し、祖先を大切にできる環境を整えていく

──樹木葬・納骨堂を考えている方へのメッセージをお願いします。

令和5年、本昌寺のお堂内に永代供養納骨壇を設置し、令和6年8月に庭園樹木葬を開園しました。納骨壇や樹木葬を始めたきっかけは、現状の一般墓と呼ばれる子孫へと継承していくお墓のあり方が、現代を生きる方々にマッチしない仕組みになっていると感じていたからです。仏教を抜きにして、「今の自分の存在があるのは祖先のおかげ」という考えは古くから日本に根付いてきたもの。それが大切であることに変わりはないのですが、そのこととお墓のことは別問題です。大きなことで言えば、継承する子孫がいないことや管理が大変であることですが、それだけでなく、様々な問題を抱えているのが昨今のお墓事情です。ただ、全てではないにせよ、樹木葬や納骨壇は、現状抱えているお墓の問題点を解決できる一つの手段だと思います。不便なことや不安なことがクリアになり、安心して任せていただけることで、新たに祖先を大切にする気持ちや行動が生まれるきっかけになるのではないかと思っています。また、これまで、墓じまいに関するご相談を多くお聞きしてきましたが、お墓じまいを考えている内の多くの方が、親先祖様のことを蔑ろにされている方ではありません。むしろ逆で、親先祖様のことを大切に考えるからこそ、自分の代で安心できる状況に整えておきたいと考える方がほとんどです。墓じまいは、親先祖様との新たな繋がりを創出する入り口。その入り口になりうるのが、本昌寺の樹木葬であり納骨壇です。ご相談には柔軟にご対応致しますので、どうぞ頼って頂きたく思います。

本昌寺住職インタビュー6

ペット墓は供養料をお気持ち制にするなど、利用しやすい環境を整えている。

住職、お話ありがとうございました。

取材・文:大島 有貴

交通案内

本昌寺 樹木葬岸和田の森

〒596-0055 大阪府岸和田市五軒屋町7-5

公共交通でお越しの方
  • 南海本線「岸和田駅」徒歩8分
お車でお越しの方
  • 駐車場完備
  • 【カーナビご利用の方】「本昌寺」または電話番号「072-422-7755」で検索してください。

本昌寺の樹木葬

見学予約や資料請求、ご質問・ご相談など
お気軽にお問い合わせください。

0120-763-948電話受付時間:9:00〜17:00 土日祝日も含む