本福寺の歴史

堅田地域の歴史文化の拠点、本福寺

本福寺は琵琶湖のほとり、滋賀県大津市堅田(かたた)に位置する浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお寺です。応永4年(1397年)、浄土真宗の中興の祖である蓮如(れんにょ)上人が滞在し、第3世住職の法住(ほうじゅう)と共に本福寺を拠点とし、布教を行いました。堅田地域の歴史文化に関する多数の文献が残され、それらを第19世住職明温(みょうおん)が公開。2023年10月には大津市歴史博物館の企画展「近江堅田 本福寺」が開催され、貴重な文献や多数の法宝物が一般に公開されました。中世における琵琶湖地域の歴史背景を知るにあたり、重要な寺院だと注目を集めています。

本福寺の取り組み

「いのち」の大切さを説き、あらゆる人たちを見守る視点を持った活動を

本福寺が位置する堅田は琵琶湖大橋のすぐ近く。湖上交通の要所であったことから、自治都市として大きな発展を遂げました。そんな堅田地域の中心として栄えた本福寺。現在は三上明祥(みょうしょう)さんが住職を務めます。地域の子どもたちが多く通う認定こども園2園の運営に関わり、「あらゆるいのちを大切にする心を育んでほしい」との思いで、住職自ら園長として地域の子どもたちと向き合っています。また、境内には樹齢200年以上の松の木や美しい牡丹園があり、多くの人々が集う地域に愛されるお寺です。

住職の想い

住職の三上明祥(みょうしょう)さんにお話をお聞きしました。

住職インタビュー:三上明祥住職

古くから重要な寺と位置付けられてきた本福寺

──本福寺の歴史について教えてください。

浄土真宗は親鸞聖人が開き、その本山の西本願寺の8代目門主蓮如上人が中興の祖として、発展させました。私は本福寺22代目の住職ですが、3代目の住職に法住がおりました。本福寺は蓮如上人が3年間ほど滞在され、法住と共に布教活動を行なった寺ということで知られています。西本願寺では毎年、親鸞聖人の命日に御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)という大切な法要を勤めます。蓮如上人がその報恩講を本福寺で勤めたということがわかっており、それだけ当時、重要なお寺であったことを示しています。現在は、境内に大きな松の木や、季節になると見事に咲く牡丹園、また松尾芭蕉が3度立ち寄り、詠んだとされる句の句碑があるといったことから、さまざまな方々がお寺へと足を運んでくださります。

住職インタビュー:松尾芭蕉が本福寺にて詠んだ句の一つ「病雁の夜寒に落て旅寝哉」。

松尾芭蕉が本福寺にて詠んだ句の一つ「病雁の夜寒に落て旅寝哉」。

琵琶湖の航路を支えてきた堅田地域の歴史文化の伝承地として

──なぜ、蓮如上人は堅田地域にある本福寺を滞在地として選ばれたのでしょうか。

当時、堅田はとても経済的に豊かな地域でした。現在、琵琶湖の中でも一番幅が小さな場所に琵琶湖大橋がかかっており、その西の付け根にあるのが堅田です。堅田地域は、米どころである北陸地域で収穫したお米を御所のある京都まで運んでいく際の重要な航路となっていました。その際、堅田は下鴨神社から湖上での権利を許可されており、積荷の10%を通行料として徴収していたのです。そして、湖上での経済活動を基盤とし、自治組織を作り上げていた人たちを「湖族(こぞく)」※1と呼びました。湖族たちは重要な航路である堅田地域の治安を守る役目を果たしていました。蓮如上人は、たくさんの船や人が行き交う豊かな堅田を選んでやってきたと思われます。

実はこのような地域の歴史は、本福寺が所蔵し、代々非公開にしていた文献に全て記述されておりました。それを私の曽祖父に当たる19世住職の明温が公開をしました。それまで堅田地域の中世の歴史の詳細は不明であったため、文献の公開は専門家の方々から注目を集めたのです。2023年10月には、大津市歴史博物館の企画展「近江堅田 本福寺」が開催され、展示の来場者は約3000人を記録。また、1ヵ月以上に及ぶ会期中、毎週、展示に関する講座が開催され、毎回100名以上の方が参加されました。それだけ注目や関心を集めたということを感じました。お寺の取り組みとしても現在、地域の歴史を学ぶ講座を定期的に開催しています。お寺を信仰の場としてだけではなく、歴史文化の伝承地として開いていくことで、さまざまな人たちと関わっていきたいと思っています。

※1 当時の文献では「海賊」の表記であったが、小説家吉川英治が「新・平家物語」の中で堅田の人々を「湖族」と呼んだことがきっかけとなり堅田地域で呼び始められる。

住職インタビュー

子どもたちに「いのち」を伝えるため、
今後も新たな取り組みをしていきたい

──現在のお寺の取り組みについて教えてください。

現在、本福寺では認定こども園2園の運営に関わっております。どちらも園児が200名以上で、そのうち1園は90年以上の歴史があり、寺の境内の中にあります。始まりは昭和3年、農繁期に地域の子どもを預かり始めたのがきっかけでした。現在、毎週2回、本堂で行う朝のお参りで私はいつも園児に直接お話をし、保育の方針でもある「いのちを大切に」ということを伝えています。その中で、言葉だけですと「いのち」を伝えることが難しいと感じる場面が多くあります。現代は核家族化が進んでいますが、昔はおじいちゃんやおばあちゃんと同居をして、世代を超えた同居というのが当たり前でした。つまり、人が老いて、病気になり、亡くなるという、仏教で言うところの「老病死(ろうびょうし)」が家庭の中にあったのです。今は、病気は病院に、老いは施設に、死を扱う葬式やお墓も簡素化され、どんどん「老病死」を私たちの生活から遠ざけ、隠すようになっています。代わりに綺麗な「生」だけを私たちに見せるような構造になっているのです。そういった背景から、「いのち」を感じる機会が今の子どもたちには圧倒的に少なくなっていると思います。私は、そのような機会をお寺で作り出すことはできないかと考え、介護事業に数年前まで挑戦しておりました。子どもと高齢者が、自然と関われる仕組みを作ろうとしたのです。ですが、さまざまな要因から、事業として成り立たせることがどうしても難しい状況となってしまいました。たくさんの人のご縁やご協力をいただいた事業でしたので、今後も何かしらの形で取り組みを行っていきたいと考えております。

住職インタビュー

自然と人が集い、賑やかな雰囲気の樹木葬に

──樹木葬を考えている方へのメッセージをお願いします。

これは日本全体で起きている問題だと思うのですが、高齢者が増えてくる中でお墓について困っているというご相談を受けることが増えてきました。それをどうにかしなければと思い、始めたのが樹木葬です。本福寺は、境内でこども園を運営しているので、お子さんの声がいつも聞こえますし、樹齢200年の大きな松の木や牡丹園などの植栽を鑑賞しにきてくださる方々も多くいらっしゃいます。牡丹の季節には椅子を用意してコーヒーを振る舞うことで、人がお寺に滞在していただけるような形をつくってきました。本福寺が今までつくりあげてきた自然と人が集まってくるような雰囲気を樹木葬においても保ちたいと思っています。実は、そのような考えを強くしたきっかけがありました。ある日、本福寺のこども園出身の方から、お電話を頂き、お話を聞くと、奥さまが事故で急に亡くなられたとのことで追悼のご相談だったのです。お墓にも悩まれていて、お話を聞くと「お墓って寂しいんですよね。妻がひとりぼっちになるようで…」とおっしゃられました。私はそれを聞いた時に、人の声がいつも聞こえて、賑やかなお墓があってもいいのじゃないかと思ったのです。長い間、地域の方々との関係性があるからこそ、いろんなご相談をいただくことがあります。今まで亡くなった後のことや、お墓と対峙するきっかけがなかった方々にも、何かお力添えできることがあるのではないかと考えております。お困りのことがございましたら、お気軽にお話いただければと思います。 ​​

住職インタビュー:季節になると多くの人が鑑賞に訪れる牡丹園。

季節になると多くの人が鑑賞に訪れる牡丹園。

住職インタビュー:三上住職インタビュー風景

三上住職、お話ありがとうございました。

交通案内

堅田本福寺 樹木葬夕陽の森

〒520-0242 滋賀県大津市本堅田1丁目22-30

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堅田本福寺の樹木葬

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